2008年11月25日火曜日

目に見えないもう1人の自分。




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こんなタイトルの書籍に不意にも目が止まりました。
でも運が悪いことに中古本販売書店「ブックオフ」100円コーナーで
既に私の手の中には選び抜かれた5冊の中古本を持っていたのです。
予算525円で5冊の本を買うのがこの日の目的でしたから、
その書籍は私にとって6冊目の本でもありました。
さらに店内には蛍の光エンディング閉店のお知らせテーマが流れ、
時間的にも閉店予定時間の5分くらいが過ぎておりました。

きっと精神世界の本か何かだろう!

と背表紙のタイトルを読むだけで本の中味までは目を通せませんでした。
次に来たときに残っていたらまた買おうかな!と気軽な気持ちでその場を通り過ぎました。
その後、数回同じ場所を日を改めて念入りに探しましたが、
そのタイトルの中古書籍には2度と巡り会うことはありませんでした。

この買えなかった本には、どのような事や内容が書かれていたのだろう?
気になり出すと勝手な推測でその内容ばかりが余計に気になります。
あああああ〜たかが100円の1冊の本を何故あの時についでに買えなかったのだろう!
いまさら後悔しても仕方が御座いません。
誰かこの内容について詳しく知っている人がおりましたら、教えて下さいませ!

もう1人の自分と表現するからには、

別人格の第三者的な自我が存在していなければなりません。
体が1つで人格が2つ、その人格がある一定条件で入れ替わるのだとしたら?
考えただけでも非常に重いテーマで御座います。
買ってもおらず読んでもいない書籍に対して
これだけの関心が持てる事自体ある意味不思議なのかも知れません。

目に見えるもう1人の自分は
鏡に写った反対側に対照的な後ろから正面を透視トレースした裏側の自我像でもあります。
それでは反対に目に見えないという言葉を使用するからには、
個としてのオリジナルがその別の存在に気が付いていない。
もしくは見ようにも見ることが出来ない
第三者的な領域に存在する「隠された自我」なのかも?
簡単な言葉で表現するのであれば
無意識に潜在する確認出来ない意識。となるのでしょうね!

多重人格障害の書籍は今までに何度か読みましたが、
今回の内容はどうやら誰にでも当てはまる「無意識下の自我」のような気がします。
魔が差すとか、いつもの自分ではとても考えられない行動だった。
と他人事のような回想録のようにそれまでの出来事や記憶を手繰りよせようとしています。
視覚を通しての自我の記憶は正しく覚えていても、
行動を管理させている心の部分が消えているのかも知れません。
つい、カッとなって我を忘れる。
もしくは勝手に手が動いていたんです。
とか良くこの手の回想録コメントを訊きます。

本当の当事者では無い第三者がこの言い訳を聞けば、
何を都合の良い言い訳ばかり適当に吠えているのだろうと本心を疑います。
自分は寝ているのに体だけが無意識にクルマを見事に運転して
自宅に無事帰って来ている不思議な現象や
蓄積知識が無いハズの言語や言葉をスラスラと会話して
語りが自動的に完成される現象。
火事場の馬鹿力では御座いませんが、
通常の運動能力を遙かに超えて
限界以上に重たいモノを瞬時に自力で動かす不思議な力など、
目に見えない「もう1人の別の自分の存在」が
もしかしたら誰にでも突発的にあるのかも知れませんね!
全く同じモノが追加で2個目を本気で欲しいと思えるとき!
背後にはもう1人の別の人格がいるのかも?




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